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■ 日本人 ■

平成17年04月16日(土) 11:29pm (NZ time)

おばんです、みなさん。
今日もまぁまぁの天気でした。
今日私は、久しぶりに家にずっと居ました。
最近ちょっと忙しかったです。
30才近くなると中々疲れも取れないと言うか、ゆっくり寝て入れない。
朝10時頃、何かの勧誘の電話で起こされました。

私の尤も興味のある民族は、日本人です。
昔は、ユダヤ人にもかなり興味があり、数冊の本を読みました。
私は、以前日本に居た頃ユダヤ人の会社に勤めていたので、彼らとのつながりは少なからずあります。
しかし、何と言っても日本人への興味は、尽きません。
それは、私が日本人であると言う事も勿論大きく影響しています。

平成16年11月17日(水) 11:23pm (NZ time)の気まぐれで「日本人 ≒ ポリネシアン」と言う記事を書いています。
私の日本人考は、同記事にほぼ集約されていますので若し、興味があればご覧下さい。
簡単に言うと、縄文人は、ポリネシアンで、弥生人は、ポリネシアンとモンゴル人などの大陸人との混血です。
そして、稀有なことに日本には、縄文人 ≒ ポリネシアン ≒ アイヌが純血種として北海道に少数ですが今でもいます。
しかし、残念な事にとても少数です。
以前、私の知り合いのとても古代史に詳しい人間から聞いたことがあります。
アイヌは、縄文人では無いと言う事です。
その前提で考えるとどうも辻褄が合わない。

しかし、アイヌは、縄文人の生き残りとしたならば、辻褄があいます。
それは、私がロトルアに行って思いました。
ポリネシアンの一種であるマオリ人の村(観光化されている)を見てそう思いました。
ほんの数点ですが類似点を見つけたからです。

  • まず、トーテンポールを立てること。
  • 身体全体に刺青を入れること。
  • 温泉地帯に集落を作る傾向が強い事。
他にも何かあると思います。
例えば、生で魚を食べるとか、共通する習慣があるのではないかと想定していますが確認が出来ていません。
又、赤フンなどの習慣も共通であればもっと面白いのですが、先日のマオリの研修、Maraeで私は質問しました。
マオリの男は、赤フンをしないかと聞いたのですが、黒の下着でした。
西洋のパンツに近いのか褌に近いのか余り詳しく確認出来ませんでした。

現在の日本人は、言うまでも無く文明化されていますが、とても原始的要素も残しています。
その最たるものは、神道です。
文明国の中に原始宗教を未だに濃厚に持っていると言うのが凄く興味深い。
先進国の中で原始的シャーマニズム(巫女が占いをして政治をする事)である神道のような古代宗教が日本のように未だに強く残っている国は、まず無いでしょう。
しかし、厳密には、断言出来ません。
西洋社会は、キリスト教に改宗しています。
しかし、古代においては、やはり原始宗教を元に政治をしていました。
そして多神教だったはずです。
ギリシャ神話を読めば分かります。
キリスト教に改宗後その古代宗教の影響が欧州にどれ程残っているのか私には分かりません。
しかし、余り濃厚に残っていないと言う印象は、受けます。

あなたは、日本書紀と古事記を読んだ事がありますか?
私は、ありません。
しかし、日本書紀と古事記の記事が至る所に出てくる本を結構読みました。
梅原猛の本などはとても面白いです。
彼は、西洋哲学を学んだ哲学者です。
その彼が日本の古代史を独特の視点で分析しています。
日本の歴史学者の書いた歴史書は、とても詰まらないです。
しかし、歴史の門外漢の梅原猛とか井沢元彦の本は、非常に面白いです。
それと非常に詳細に検証されている古田武彦の本、いずれも歴史学者や専門家ではありません。
他に「梅干の日本史」と言うような題名の本を読んだのですが、これが結構面白かった。
残念な事に、正確な題名と作者の名前を思えていません。
その本の中で、作者は、日本人の血の約半分は、ポリネシアンの血だと言っています。
日本人の骨の形は、北東アジアの民族よりも東南アジアの民族の特徴に良く似ていると言っています。
日本人が未だに古代人の尻尾をしっかりと持っている理由は、ポリネシアンの血が濃いからでは無いかと思います。
ポリネシアンの原点は、東南アジアです。
現在のインドネシアやマレーシアの辺りです。
氷河期には、海面が低く、陸地が広くインドネシアやマレーシアの辺り一体は同じ大陸でした。
しかし、氷河が溶け出して海面の水位が上がり、陸地が少なくなると、太平洋の島々へ渡りました。

梅原猛がこう言っています。
「武士は縄文人だ」。
これを読んだとき、私は、一体どう言う意味だろうと思いました。
武士の出現は、12世紀です。
縄文時代は、紀元前3世紀頃までとされています。
紀元前3世紀頃に大陸からモンゴロイドが沢山押し寄せてきました。
そして、混血しました。
そして、現在の我々があります。
一部残った、純粋の縄文人は、どんどん北へ追いやられ、東北まで落ち延び、更には最後の地、北海道まで逃げました。
8世紀末、桓武天皇が東北に軍隊を派遣して、夷人退治を行いました。
その為に初めて創設された職名が征夷大将軍です。
抵抗は、かなり激しかったようですが、征夷大将軍が何度か変わり、坂上田村麻呂が征夷大将軍になりようやく東北の夷人を制圧しました。
その時の夷人とはアイヌ、縄文人の事です。
アイヌは、元々北海道に居たと思っている人も居ますが、そんなことはありません。
アイヌは、古代において日本全国に居ました。

退治された夷人の大将アテルイの顔の絵を見た事がありますが、明らかに現代の日本人の顔と違います。
目鼻立ちの大きい濃い顔です。
日本の海岸地帯には、縄文系の血が濃いと言われます。
その最筆頭が薩摩だと思います。
西郷隆盛の顔を思い出してください。
彫りの深い西洋人のような顔をしています。
恐らく日本列島の中でも比較的暖かい、沖縄諸島とか九州南部に恐らく縄文人が多かったと思います。
ここまで書いてきて、私の書いてきた内容は、全く系統だって居ません。
思いつくままにあれもこれもと書いている内に支離滅裂状態になってきました。

何をどのように組み立てて書こうかと言う筋書き(ハイカラな言葉で言うとストーリー)が自分の頭の中で組み立てられて居ない為です。
支離滅裂なまま、まとめも無く今夜はこれにて御免。
by kiwidream1997 | 2005-04-16 22:07 | 歴史