カテゴリ:こころ( 16 )

第2部は、神道とは何かで終わっています。
そして、神道の特徴として2つ上げました;
1. 穢れ (けがれ = 死に対するけがれ)
2. 言霊 (ことだま = 呪いを怖れる - 何か不吉な事を言うとそれが現実化する)
その続きです。


第1部で神道とは原始宗教で、原始宗教とは、自然崇拝であり、シャーマニズムだと言いましたが、
神道の経典がある訳でもありませんし、教えがある訳でもありません。


あるのは、日本人が普段の生活の中で注意されたり、諭されたりしています。
それは、不吉な事を言うとそれが現実化するかも知れないから口にすると叱られるとか。
例えば、明日飛行機に乗る予定の人に、明日飛行機落ちるかもしれないよ。
などと言う日本人は、まず居ない筈だ。
これが言霊(ことだま)。
言霊とは、口にした事が、具現化する事です。


伊沢元彦の「逆説の日本史」によれば、日本人が名前を呼ばずに役職で人を呼ぶのは、
呪いを恐れる習慣に由来していると言っています。
天皇は代々、名前を秘密にしてきたそうです。


そして穢れですが、死、血、病気などを穢れとして忌み嫌う傾向です。
犯罪もその中に入るかも知れません。
死者と弔った後、日本人は身を清めるために身体に塩を掛けます。
不浄の物か事柄を避けるように日ごろから心がけ、万一裂けられない場合は、
身を清める。
禊(みそぎ)がその伝統的な方法だったと思います。


このように日本人は、神道と言う原始宗教に深く影響されていますが、
それに気づいている人は余り居ません。
と言うか意識せずして影響されています。
神道の影響度は、儒教と仏教よりもかなり大きいと推測します。


それでは、古代の原始宗教に未だに深く影響され、
神社のような社が大事にされている国が日本以外にこの惑星に存在するでせうか・・?
明治神宮、伊勢神宮、出雲大社、橿原神宮など等の他にも無数に神社があります。


更に日本と言う国は、世界でも稀に見る発展と遂げた国です。
高度に発達した工業と文明、そしてそこに生きる人々は、神道と言う原始宗教に影響されている。
世界の他の国で原始宗教が、実際に未だに強く残っている先進国はあるでせうか・・?
未開の原始民族が未だにこの惑星に存在しますが、彼等ならシャーマニズムを信奉している可能性がある。


然し乍、日本のように高度に発達した先進国が原始宗教に支配されている。
これは驚嘆すべき現象だ。


人は本来素朴で純粋で性善説の生き物であった筈だ。
然し、ユダヤ教とそれを水で薄めたようなキリスト教と、その後追いしたようなイスラム教は、
人は悪い存在であると教えている。
つまり、性悪説を根底から刷り込んでいる。


有名なのが、旧約聖書の失楽園に書かれている、イブがアダムに知恵の木の実を食べるように言う。
そしてアダムとイブは、その木の実を食べた。
人は、その原罪を背負い、その罰として労働を科せられた。
よって、人はその初めから悪い行いをする悪い生き物で、その罰則としての労働は卑しい行いである。
(労働を尊いとする宗教も珍しいが神道は、天皇が自ら新嘗祭を行う事からも伺える)


人は性悪説の生き物であり、監視と規制をして、違反したら厳しく罰すると言うのが、
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の教えだ。

ユダヤ教の聖典は、旧約聖書。
キリスト教の聖典は、旧約聖書と新約聖書。
イスラム教の聖典は、旧約聖書と新約聖書とコーラン。

つまり上記の3人は、同根で仲が悪い。
人と言う生き物は、不思議で似たもの同士や隣近所とは仲が悪くなる。


微妙なのは仏教だ。
仏教は、人は煩悩に支配され、それを克服し、解脱するために輪廻転生して修行を繰り返すと言っている。
これは人は悪だと決め付けていない感じがする。
然し、その経典は、理解不能で神秘めいている。
よって、良く分からないが、人を良い方向へ導こうとしているような気がする。


それでは神道は、人は生まれながらにして良い生き物だと言っているか・・?
言っていない。
然し乍、現実的に日本と言う国は、この惑星に於いて唯一の性善説の国として存在するのは、
神道と言う原始宗教と天皇家がこの21世紀まで続いて来た事に起因する事は、
間違いないと言う結論に至った次第です。


人々は、本来その性(さが)は、素朴で良き生き物であった筈だ。
それが否定され、労働と言う重荷を科せられ、厳しい戒律に抑圧され性悪説になって行ったと推定する。


以上で取り敢えず、当題の完了です。
最後まで読破ありがとうございました。
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(昨日の続きです)


どの民族も自然崇拝(畏敬)に起因する原始宗教を信奉していたが、
ユダヤ教や仏教やキリスト教やイスラム教が (どれが一番古いか調べていない) 形成されてきた。
これらの宗教はどれもが人類の知恵の結集だ (好き嫌い、良し悪し、正しい間違い等は抜きにして)。

原始宗教を信じていた民族も新しい宗教を取り入れ、原始宗教を捨てた。
日本でも6世紀に仏教が伝来して、蘇我氏 vs 物部氏 で宗教戦争があり、
一応仏教側の蘇我氏 (聖徳太子側) が勝利したが、何故か神道は滅びなかった。
これが不思議だが、その答えは天皇の存在だ!

天皇は神道の最高位の神官であり、五穀豊穣をお祈りする。
新嘗祭 (にいなめさい = 新米の収穫に感謝する祭り) などの儀式を行うのは天皇だ。
天皇家は、稲作と密接に関係している。

天皇家がありながらそもそも仏教を輸入すること自体が無理だったが、
当時大きな勢力と影響力を持っていた、蘇我氏が仏教輸入に熱心だった故の帰結だ。
645年に中大兄皇子 (後の天智天皇) と中臣鎌足によって蘇我入鹿が宮中で成敗されるが・・
(蘇我氏の力が余りにも巨大に成り過ぎた為)

天皇家の存在があり、神道を21世紀の現在まで活き活きと続いて来た。
仏教もそれなりに栄えた。



それでは、神道とは何か・・?
これが又、謎だ。
自然崇拝でひたすら自然の神々にお祈りするのが神道だから戒律や教義等は無いだろう。
(と思うが、詳しく調べていないので100%の保証は出来ない)

私の現在知りえた知識で言えば、神道と深く係わりのある習慣は;
1. 穢れ (けがれ = 死に対するけがれ)
2. 言霊 (ことだま = 呪いを怖れる - 何か不吉な事を言うとそれが現実化する)



続く
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日本はこの惑星で唯一の性善説の国だ。


この惑星には、多くの人々が生息している。
この惑星には、多くの民族が存在する。
この惑星には、多くの宗教がある。

私は、ずっと海外畑を歩いてきた。
メーカーや商社の海外部門で海外営業をしたり、貿易業務に携わって来た。
又、海外駐在も経験した。
若い頃にはシンガポールに約5年、又、ニュージーランドに約11年も駐在した。
2008年暮れにニュージーランドから我が祖国、日本に帰って来た。

そんな中、不思議で魅力的な我が祖国を約40年近くずっと考えて来た。
そして気づいた事がある。



1.それは日本は、唯一の性善説の国である事。
2.そして、日本は、神道と言う原始宗教を未だに信奉している事。



これは、偉い学者が唱えている説でもないし、誰かがTVやマスコミで主張している訳でも無い。
私、独自の考えだ。

上記の2が1を成していると思う。
つまり、神道と言う原始宗教が日本人を性善説にしている。

この惑星に宗教は、数多くあれど、その主流は3個だ。
I)   仏教
II)   イスラム教
III)  キリスト教

これら3つの宗教はどれもかしこも、人類が英知を絞りに絞って築き上げて来た。
イスラム教やキリスト教は神の教えを本にしたのがコーランであり聖書であると言うが、
それらを書いたのは人類でそこに人類の知恵やある種の意図が潜んでいるのは間違い無い。

扨 (さて) 、それでは、我が日本はどうか・・?
日本人の魂に流れている宗教は1個ではないが、その主流は神道だろう。
神道の他に、仏教、儒教も日本人の精神に影響を与えている。
人によっては、キリスト教やその他の宗教を信奉しているかも知れないが少数派だ。

やはり、大部分の日本人は、神道に深く影響されている。
日本人はそれらを意識さえしていないが。
我々は、正月、厄払い、七五三などの節目に神社に参拝するだけなので、
神道は、日常生活と直結していない。
(それは仏教や儒教も同じだが)

人類は古代に於いて、どの民族も原始宗教を信奉して来た。
原始宗教とは自然崇拝であり、シャーマニズムだ。

自然崇拝とは、
1) 地震
2) 雷
3) 台風
4) 暴風雨
5) 火山噴火
6) 猛吹雪
7) 津波
8) 日蝕
9) 洪水
10) 雪崩
11) 旱魃
など等。

ひたすらお祈りして自然の神々のご機嫌を伺う行為だと思う。
自然の神々の気持ちを推し測り、将来何が起こるかを占うのがシャーマンだ。
シャーマン = shaman = 巫女 = 霊媒師 の事だ。
霊媒師として有名なのが卑弥呼だ。
巫女が未来を占いそして災いを避けるために自然の神々に祈祷するのがシャーマニズムだ。

自然科学知識が皆無の古代民族にとって自然災害は、恐怖以外の何物でもなかった筈だ。
古代人には、地震、火山噴火、大雨、旱魃、津波、猛吹雪などなどの自然現象を極力避け、
死の恐怖から開放される為に神々と交信できる巫女(シャーマン)は偉大な存在だった。



然し、時と共に人類は知恵を付けて来た。


(夜も更けて来たので、今夜は途中で一旦筆を置き、明日又続きを書きます。)
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http://www.tudou.com/programs/view/nVmj3HQHQJg/


最近この動画を観た。
初めて観たドラマ(Drama = 演劇)だ。
秀作だった。

1993年TBSで放映されたそうだ。
知らなかった。
1993年と言えば、私は未だ日本に居た。
でも、こんな良いTVドラマがあったとは全く知らなかった。
その題名さえも・・
18年前に放映されていたとは・・

b0026028_14171396.jpg
でも、数年前、或る知人から「高校教師」と言うドラマがあったと聞いていた。
数年前とは、いつか・・?
恐らく、4~5年前だと思う。
何故、「高校教師」が話題に上ったか、そして何故私がそれを今まで憶えていたか・・?
それは憶えていない。

このドラマの何処がそんなに良かったのか・・?
未だ分析していない。
分析は、これからだ。

何故この動画に辿り着いたか・・?
私は、ここ1ヶ月間くらいずっと井上陽水の動画(歌)を聴いていた。
http://www.youtube.com/watch?v=Y0AiMYITBV0
http://www.youtube.com/watch?v=Se1Ak1c-PhY&feature=related
そこから、たまたま、山崎ハコの「織江の唄」に派生し、そして森田童子の「ぼくたちの失敗」を思い出した。

山﨑ハコは、私が未だ学生だった頃(数十年前の大昔)、何度か聴いていた。
暗く哀しい唄調で好きだった。

森田童子の「ぼくたちの失敗」は、約10年近く前、何度も聴いた。
今でも私のコンピュータの中に森田童子の「ぼくたちの失敗」のファイル(mp3やそんな類のファイル)があるはずだ。
森田童子の「ぼくたちの失敗」が「高校教師」の主題歌として使われていたので、このドラマを観る事が出来た。
暗い、くらい、余りにも暗い森田童子の唄・・
この暗い森田童子の唄がとても良い。
私は、大好きだ。

周りまわって辿り着いた「高校教師」が、とても好かった。
と言う話でした。
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おはようございます、皆さん。
今朝はとても天気が良く暖かく気持ちが良い日だなぁ~と思っていたら今雨が降ってきました。でもお日様が日を注ぎながらの小雨で狐のお嫁入り風です。
もう直ぐ止むと思われます。
日曜の朝如何お過ごしでせうか?
平和で穏やかな日である事を願って居ます。

私は今日珍しく朝からインターネットニュース(New Zealand版)を読みました。
そこで今問題になっているFolole Muliagaさんの死亡事故の記事を読みました。
「Jenni Raynish: So hard to say sorry」
題名の意味は、「すみませんと言うのは非常に難しい」です。
Jenni Raynishさんと言う方はPR(Public Relations)コンサルタントをしている方だそうです。

しかしこの記事の内容は彼女に焦点を当てている訳ではありません。
企業が犯した過ちを世間に対して釈明する時の心構えについて言及しています。
2ページに渡るNZ Heraldの記事ですが読み進むうちに私は大きな衝撃を受けました。
以下に当該記事を載せます。
NZ Heraldの記事にリンクを貼れば簡単なのですが時間が経つと記事は削除されるので止めます。

Days after the tragic death of South Auckland mother Folole Muliaga,
the situation couldn't look worse for Mercury Energy.
Even the prime minister, a crisis management veteran, has joined in,
slamming the company's handling of the issue.
While the facts of what happened continue to be debated and disputed,
the mistakes that Mercury Energy has made in handling the issue are clear.
南オークランド在住のFolole Muliagaさんの死亡事故から数日経って、
Mercury Energyにとって状況はこれ以上悪くなる事は無い。
対処の仕方が間違っていたのは明らかだ。
(肝心な部分だけ抜粋して訳して行きます。多少の誤訳は勘弁ね)

Don't blame the victim (or their family)
For Mercury Energy to continue saying there is "some doubt about the circumstances" doesn't wash with the public.
The key circumstance is that Folole Muliaga is dead.
There's no doubt about that.
She was alive before the power was turned off and died after it was disconnected.
If Mercury Energy believes there are extenuating circumstances,
the time to share this is when they are confirmed facts,
not when they are speculations or suggestions.
被害者とその家族を非難するな
マーキュリーエナジーは「状況が分からない部分もある」と言い続けているがそれじゃ国民は納得しない。
肝心な事は同社が電気を止めた事でFolole Muliagaさんは死亡したと言う事実だ。

Don't keep changing your story
One day Mercury Energy is reported as saying that contractors do call in for guidance in situations where there's doubt - the next we hear they don't. At a Mercury Energy news conference, a company spokesperson says the contractor can't be expected to make medical decisions and, a moment later, Mercury Energy recounts a story where a contractor decides not to go ahead with a disconnection when a mother with a young baby says to do so would be very bad for the child. The public is left wondering what the rules around disconnections really are and whether they reflect a corporate culture that leaves unnamed contractors making life or death decisions on a whim.
言う事をころころ変えるな
Mercury Energyは委託業者がFololeさんのお宅を訪問し説明したと当初言っていたが、今度は説明に伺って居ないと言っている。

Don't start a scrap with the victim's family
Family spokesperson Brendan Sheehan says the power wasn't reconnected until many hours later. Mercury Energy disputes this. What could be the benefit to the company to argue about the timing of the reconnection? Perhaps Mercury Energy believes it will win points for taking action, but the public verdict is likely to be "too little too late".
犠牲者の家族と喧嘩するな
(この意味パキちゃんに教えてもらって解決)
家族を代弁しているBrendan Sheehanさんはその後も電気は何時間も接続されなかったと言っている事に対してMercury Energyは反論しています。 こんな事に執着して同社にとって何の得があるのか? (ちょっと寄り道です。頭の部分しか訳していませんが、この文節の最後にある"too little too late"の意味が分かりません。想像するに「余りにも遅すぎた対処を補うには余りにも不十分だ」と言う意味ではないかと思いますが如何でせうか?どなたかお分かりの方がいらしたら教えて下さい)

Avoid blame shifting
We've heard that the family had made part payments of their power bill and now know that this doesn't stop disconnection. We've heard there are notices you can get from hospital to prove to a contractor that your electricity needs to stay on for medical reasons, and we've heard that the oxygen machine was not "vital" but simply there to assist Folole Muliaga. Again, while these statements are true, the sad fact remains that the Muliaga family clearly didn't know any of this and it is doubtful whether many New Zealanders would either.
話をすり変えるな
被害者の家族は電気代の一部を支払ったと聞いているがこれでも電気は止められた。 病院から家族宛に通知が行き、患者にとって電気が必要と電力会社委託業者に証明できる。 また、酸素吸入機は必要不可欠ではなくFololeさんの補助になるだけだとも聞いている。 若しこれが本当なら、Fololeさんの家族はこの事実を知らされて無かったと言う哀しい事実だけが残り我々もそんな事を理解しているかどうか疑問だ。

Stay focused on the issue
Mercury Energy has talked about how codes of conduct have been developed to protect consumers and how the Privacy Act means they can't find out from hospitals which customers need electricity for health management. While all of this is true, it sounds like corporate spin. In the weeks ahead these issues can and should be addressed and maybe changes made to avoid this happening again. But now is not the time.
この問題をもっと考えよう
マーキュリーエナジーは、利用者保護のための行動規範が出来てきた経緯と、個人情報保護法がありどの利用者が健康上の理由から電気を必要としているか病院から知る事は出来ないと言っている。 これが本当だとしてもこれを議論するのは後だ。

Mercury Energy is not alone in mishandling its communications around a crisis. In fact, 2007 is shaping up to be the year of the corporate communications crisis.
Mercury Energyだけが問題処理を間違ったわけではない。 実際、2007年は企業の危機対応を改善する年だ。

In March, we witnessed the Ribena Vitamin C content crisis when GlaxoSmithKline was found guilty of false advertising. The company was fined more than $200,000.
3月にはRibena Vitamin Cの問題がありGlaxoSmithKlineは虚偽の広告を行ったかどで有罪になった。 同社は20万ドル以上の罰金を科せられた。

Their public response was, "We have been claiming that the blackcurrants in Ribena contained four times the Vitamin C of oranges. This may have misled you into believing that Ribena products contain four times the Vitamin C of orange juice products, which is not the case. In future, Ribena New Zealand will no longer be making this claim".
同社が我々に対して言った事は、「Ribenaブランドのブラックカラントにはみかんの4倍のビタミンCが含まれている。これにより当社は、Ribenaにはオレンジジュース製品の4倍のビタミンCが含まれて居るかのように間違った印象を与えました」。 将来はRibena New Zealandはこのような表記を行いません。

Another case of too little too late. Of course they won't be making this claim in the future, it would be illegal to do so, which is why they got fined in the first place.
これも対応の遅れを取り戻すには余りにも不十分なケースだった。 言うまでも無く同社は今後同様な表記は行わないし、そんな事をしたら違法になる。 それ故に、同社は既に罰金を科せられた。

A few weeks later, the Health and Disabilities Commissioner released a report confirming that two years ago, Capital & Coast District Health Board had failed "to provide safe and appropriate care for a very unwell patient (and that) in addition to the clear system failure, several individual doctors and nurses must accept responsibility for their failure to provide appropriate medical and nursing care".
数週間後障害者保険委員会は報告書を公表した。 それによると2年前首都圏及び海岸地方保険局は体制上の欠陥のみならず、重態患者に対して適切な処置を行わなかった。 数人の医者と看護婦(看護士)は適切な医療看護を行わなかった事に対して責任を取らなければならない。

Rather than denying or debating the detail, the chair of the board, Dr Judith Aitken, took the blame and said, "The Board takes full responsibility for the events leading up to the tragic outcome".
同保険委員会の会長、Judith Aitken博士は末節的部分を争ったり否定したりするのではなく、責任を取り「当保険委員会は、悲しい結果を招いた全責任を負います」と言った。

In her media statement she went on to say, "Capital & Coast District Health Board (C&C DHB) sincerely apologises to the patient's family for the loss of their loved one. We have contacted the family and have met to express to them directly our apologies and deep regret".
彼女は報道でこのようにも言って居ます「首都圏・海岸地方保険局(C&C DHB)は最愛の人を亡くされたご家族に心よりお詫び申し上げます。 当局はご家族に連絡しお会いし、直接深く反省し申し訳なく思っている事を伝えました」。

What sets this story apart is that Aitken said sorry. One little word that showed New Zealand that the board was taking responsibility and someone regretted what had happened.
この話が際立っているのは、Aitkenが謝った事です。 犯してしまったミスに対して責任を取り誰かが深く反省すると言った小さなひと言をニュージーランドに対して示しました。

Every day we see media and sporting personalities apologising for mistakes they have made, sometimes it's drug use, other times violent behaviour. From these cases it's clear that the public are prepared to forgive and forget. When an apology is made in a sincere way and remorse is shown, the debate ends and we all move on.
我々は毎日、マスコミ関係者やスポーツ選手が謝るのを見ます。 薬をやったり暴力的行いと言う過失だったりします。 これから分かる事は、心から謝り深く反省している姿勢を見せれば国民は納得し忘れ議論は終結しまた前に進めると言う事です。

Perhaps the key lesson from last week's tragic affair is this, New Zealanders expect businesses and business people to take responsibility for mistakes that happen.
先週の悲劇から学ぶべき事は、恐らくニュージーランド人は企業とそれに従事する人たちに求めるのは犯した過ちに対して責任を取る事だと思います。

For companies, continued "success" depends on public confidence. "Sorry" shouldn't be the hardest word.
会社が成功し続けるのは、国民の信用を得る事です。 「すみません」と言う言葉はそんなに難しい言葉ではないはずです。

*Jenni Raynish is the founder of the Raynish Group, a communications consultancy providing strategic communications advice to corporates in New Zealand and Australia.
Jenni Raynishさんは、Raynish Groupe創設者でNZと豪州の企業に広報戦略コンサルタントです。

私はこの記事を読んで感動しました。
特にJudith Aitken博士の言葉と行動は素晴らしいとしか言いようがありません。

日本でも企業が問題を起こした時にその対応に違いが出ますが、
殆どの場合は自己弁護に走ります。
西洋の場合はその傾向は更に顕著で謝る事は自分の過失を認め責任を取る事を意味します。
責任を取ると言うのは良く聞きますが抽象的概念で明確な形態は定まって居ません。
殆どの場合はお金による賠償責任になります。
それが嫌なので大抵は言い逃れをし自己弁護に走り墓穴を掘ります。
ゲスト執筆者として当記事を書いたJenni Raynishさんと言う人もその名前からして西洋人だと思いますがその人から心からの「謝罪と深い反省」について触れたのは驚きです。

これが企業に対する広報戦略のコンサルタントと言う商売柄から出た計算された言葉だとしたらちょっと引きますが、ただ西洋人も感情としては我々と同じと言う事です。
でも自分は関係ない第3者として客観的な立場にあると「心からの謝罪と深い反省」は企業が問題を起こしたら当たり前だと思うかも知れません。
しかし、問題は自分がその当事者になった時に本当にそのように出来るかどうかです。
天井桟敷で舞台を見ている時と自分が舞台に立った時は雲泥の差があります。
舞台に立った時に天井桟敷の客が期待するように振舞えるかどうか、普段から相当な徳を積んでおかないと出来ないと思います。

この記事を書き出したのは、NZ時間で昼ちょっと前でしたが、今はもう外は真っ暗です。
記事を読みながら翻訳するのに時間が掛かりまた途中で用事を済ませたりで3時間くらい中断しました。
今はもう夜の6時22分です。
明日は女王陛下の誕生日でNZは祝日です。
エリザベス女王2世の実際の誕生日が、6月4日かどうかは分かりませんが。
何故なら毎年6月の第一月曜日になってるので毎年ずれます。
今宵があなたに取りまして素敵な日曜の夜になる事を願って居ます。


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世間では母の日は終わったようだ。
従いいつまでも母の日が飾ってあるのはお変しい。
それじゃ更新しよう。

私は29年生きてきて最近気になることがあります。
若い頃(今も若いが)には到底考えなかった事です。
人の存在そのものに関わる事です。
心の問題と言っても良いかも知れません。
実はそれが何がなんだかさっぱり分からなく整理整頓全然出来て居ない。

ニュージーランドはもう直ぐ夜明けだ。
今夜はこれにてごめん。



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愛と心
心のメカニズム
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おばんですみなさん。
今日は結構暖かかったです。
最近の朝晩は寒いくらいです。
でも日中は気持ちよいですね。

テレビ朝日で「オーラの泉」と言う番組があります。
毎週水曜日です。
関西では6チャンネルで深夜の1時頃に放送しています。
関東ではテレビ朝日なら10チャンネルで、夜11:15pmの放送のようです。
昨日たまたまその番組を見ました。
昨日の客(ハイカラな言葉で言うとゲスト)は、俳優の村上弘明でした。

司会は国分太一、解説者と言うのか分析者と言うのか良く分かりませんが霊能者が2人居て毎回同じ人です。
一人は三輪明宏、もう一人は江原啓之です。
この2人がゲストの過去や現在の色んな問題やこれからの可能性などを分析します。
ところで私がオーラや霊の話を信じる人間だと思いますか?
私は本物の場合は信じます。
本物とはオーラを見たり霊的に物事を見たりする事が出来る人間です。
でも偽者の言う事は信じません。
偽者と本物の見分け方は分かりませんが。

オーラは今や誰もがごく当たり前に口にする言葉になりました。
オーラとは何かとかオーラの存在を疑う事もありません。
3昔前まではオーラそのものへの疑いが先に来ていたと思います。
私もオーラの実態は知りませんし見た事もありませんし、霊的体験もありません。
でもその存在を殆ど疑っていません。
私は若いですが昔はもっと若かったです。
今よりもっと若い頃は、唯物論者だったかも知れません。
唯物論者と言っても、マルクス・レーニン主義を信奉すると言う意味ではなく、物質以外の存在を認めなかったと言う事です。

唯物論者だったとして直ぐ疑問に思うのが心です。
魂と言っても良いです。
私は、心は物質ではないかと思いました。
気体ではないだろうと思いました(気体も物質だが)。
それでは心の実態は何か・・?
脳の動きだろうか?
しかし、脳の物質的な動きで心が作動しているとしたら人間の苦しみとか悲しみとか喜びと言う感情は何だろうか?
脳が単なるコンピュータのCPUのように作動しているだけなら人間の感情などは無いはずです。
しかし、人間には感情もあるし、野心や信念や気概と言う不思議な思いもあります。
このような不可思議な感情と言う動きがあるということは心(魂)が物質とは違う存在と思います。

しかし、心も特殊な物質で出来ているかも知れません。
今まで発見された事の無い物質です。
現在の自然科学の要素に何かが付加された物質かも知れません。
以前も書いたように思いますが、心と言うのは意思を持ったエネルギーの塊ではないかと私は仮説を立てました。
エネルギーは物質です。
しかし、自然界に存在する物質で意思を持っているのは生き物だけです。
意思を持っている物質は自然科学の範疇に入りません。
何故なら、自然科学の世界では追実験をやると必ず同じ結果が得られるからです。
しかし、人の心は移ろいやすく常に同じ動きをするとは限りません。
変化の連続です。
このように変化する物質は有り得ません。
それでは物質ではないのか・・?
それは分かりません。
誰も分かりません。
霊の事も同じです。
ただ感じるかどうかだけです。

どちらかと言うと私は、理化学的思考傾向が強いかも知れません。
ですから心の存在を物理的な側面から考えてしまうのです。
それなのに何故、霊の話を素直に疑うことなく信じるか・・?
それは私の身内や友人の霊的体験を何度も聞いたからだと思います。
身内や友人がわざわざ嘘の作り話を私にする訳がありません。
元来私は素直な方なので人の言う事をそのまま信じてしまう傾向が強いです。
それで霊の存在も信じています。

さて、オーラの泉の話に漸く戻ります。
村上弘明という人は、かなり芯がしっかりしている人のようでした。
江原啓之と言う人が村上弘明に付いている霊の事や前世の事などを色々説明していました。
三輪明宏はそれに補助的説明をする感じです。
村上弘明という人はかなり理詰めでしっかりと説明しないと納得しない性格の人のようですが、江原啓之と三輪明宏の言う事を額面通り信じていました。
また、村上弘明に付いている守護霊がスタジオに居て江原啓之を通して伝言していました。
しかし、その伝言の内容は視聴者には聞かせてくれませんでしたが、村上弘明はかなり驚いていました。
彼自身以外に知らない事実を江原啓之と言う人が守護霊から頼まれて伝言したからです。
とまぁこんな感じでした。

それにしても不思議ですね。
霊の見える人と見えない人が居るんですから。
霊は心で見るのでせうか?
或いは可視光線と不可視光線(赤外線や紫外線)のように波長の違いによって見える光に限界があるように霊も何らかの臨界線があるのかも知れません。
実に不思議です。
いずれにしても私のような俗っぽい人間は、霊を見る能力が無いようです。
現実的な欲に深く支配されている人には見えないようです。
私はそんな人間の一人です。
今夜はこれにてごめん。



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平成17年05月27日(金) 11:00pm(NZ time)

おばんです、みなさん。
今日の空模様も全体に冴えない天気でした。
雨は、キチンと降りました。
最近は、雨が多くなってきました。
でも幸いなことに気温は、それ程、低くありません。
ですから凄く寒いと言う事は有りません。
でもこれから冬が本格化し、毎日毎日雨が続き、カビが生える日が来ます。
でも静電気は、余り来ませんし、日本の冬ほど寒くないので総体的に見ると決して苦情を言えません。
と言うか私の憧れの地中海性気候です。
苦情など言えようか、いや、言えない。

昨日の「人として」の続きです。
この記事は、まず最初に「ニュージーランドドリーム」と言うHPのトップページの「気まぐれ草紙」と言う欄に載せます。
その後、「ニュージーランドで日々思うこと」と言うExciteのblogに転記します。
そのExcite blogで当件について投稿してくれた人が居ます。
Paquicialさんとままさんのお二人です。
このお二人の意見がヒントになり、ほぼ謎が解けました。

私の昨日の記事で書いた内容は、実は本当に有った或る会話が私の頭の中に像(ハイカラな言葉で言うとイメージ)として有りました。
それは、人種差別とIdentity(アイデンティティー = 自分って誰と言う意味?)に関する会話でした。
人が差別される時、或いは、差別する時、国籍や民族に拘わらず「人として」対等に接すると言う防衛装置を装備する事が有ります。
私は、このような背景を持って昨日の記事を書きましたが、上で言ったPaquicilさんと言う方の意見は、意外でした。
彼女の考えは、「人の本性(嘘ついたり、怠けたりとかマイナスの)に照らし合わせて」では無いか、と言う事でした。
これを読んで私は、成るほどそんな捉え方があるのかと思いとても参考になりました。
ただ、これは、私の思い描いていた像とはやや異なりました。

次にままさんと言う方の投稿を読み、それに回答しながら私は、自分の考えのもやもやがやや晴れて来ました。
彼女の言う事は、彼女も「人として」と言う表現を使うけれどもその意味を説明すれと言われると上手く説明出来ないと言う事でした。
私は、「人として」と言う言葉を使いませんが、彼女と同様に上手く説明出来ない。
それで、彼女に対する返答を書きながら、私が何故「人として」と言う表現に違和感を感じるか大体答えが出ました。
まず、表現自体がとても曖昧である事。
「人として」言う表現が曖昧で有るが故にその意味する範囲が広く、焦点が定まらない事。
言葉として綺麗である事。
或る言葉の意味する範囲が広くそして耳辺りの良い綺麗な言葉は、便利で使いやすいと思います。
しかし、具体性に欠け、何を言いたいのかぼやけてしまいます。

私が「人として」と言う言葉に感じる違和感の原因は、このせいだと思いました。
つまり「人として」と言う綺麗な言葉の持つ曖昧さが誤魔化しやまやかしに思えたからだと思います。
私は、若かりし頃(今でも若いですがもっと若かった頃)、物事を正確に的確に具体的に表現する事を好みました(実際は、中々出来ませんでしたが、そうあるように努めていました)。
曖昧な部分を残す事がとてもずるいような気がして嫌でした。
しかし、人生30年近く生きてくると、余りはっきりと言う事は時には、人を傷つける事もあるので、時と場合によりけりだと思うようになりました。
人間が丸くなったのです。

それで、私の中では、曖昧な表現もありになりました。
でも未だに体質として曖昧さを嫌う傾向が残っているようです。
しかし、曖昧さは、時として優しさになることもあります。
曖昧模糊の状態にしておく事で人は、救われる事があります。
しかし、曖昧模糊が常に人を救うとは、限りません。
曖昧ではっきり出来ないが為に、悪循環環境を断ち切ることが出来ず苦しむ事もあります。
それらは、常に人の意思によって断ち切られたり、続けられたりします。
今宵があなたに取りまして、素敵な金曜の夜になる事を願っています。


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平成17年04月19日(火) 11:38pm (NZ time)

おばんです、みなさん。
今日も比較的良い天気でした。
雨は、全く降らなかったと思います。

人の心とは一体何か、その実態を私は知りたいと思います。
以前から私が考えていた事、それは人の心は、一種のエネルギーの塊ではないかと思います。
そのエネルギーの塊が魂と言うのでは無いかと思います。
塊と魂、何故かとても良く似た文字です。
中国人は、その機構(メカニズム)を理解してこの様な似て文字を当てたのでしょうか?

一種のエネルギーと言っても、意味が分かりません。
エネルギーは、物質です。
それでは、心は、どのような物質から構成されているか・・・?
勿論、私には分かりません。
全くの空想で話しているだけです。
しかし、物理学や化学では解明されていない物質で構成されていると仮定します。

物質には、重さがあります。
ですから心にも物理的な重量があると思います。
平均的な人の平均的な心の重さは、何グラムかあるいは、何キログラムか・・・?
勿論、私は、知りようがありません。
そして、心はエネルギーを放射する。
喜怒哀楽、愛情、執着心、嫉妬心、羨望、憧憬、などなど、人の心が動く時、ある種のエネルギーを放射するような気がします。
それは、人であれ、動物であれ、植物であれ、生きとし生けるものに届きます。
いや、石や水や鉄など無機質の無生物にも届きます。

そこで何が起こるか・・・?
何が起こるのでしょう?
私は、分かりません。
私の想像では、人の心から発せられたエネルギーを受け取った対象物(人とか生き物とか水とか何でも)は、それにより影響を受ける。
例えば、母親が自分の子供をこよなく慈しみ(いつくしみ)、愛しい(いとしい)、可愛いと思う心的エネルギーを放射し続ける。
良性の心的エネルギーの連続放射です。
そうするとその子供は、限りない母親の愛情を主成分をする良性の心的エネルギーを受け取り続ける。
その母親の良性の心的エネルギーは、子供の心に蓄積される。

その母親は、飼い犬のタロウと植木にも同様な良性の心的エネルギーを連続放射する。
タロウと植木も同様にそのエネルギーを受け取り蓄積する。
充分な良性の心的エネルギーを心に蓄積した子供は、苦しい事や哀しい事を吸収し分解し、無公害状態で排出することが出来る。
そして、他者に対しても母親と同様な良性の心的エネルギーを放つ。
植木は、綺麗な花を咲かせる。
タロウは・・・?
分かりません。

悪性の心的エネルギーを連続的に放射したり、受領した場合に関しては、上記の各部分を適宜に変更してお読み下さい。


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