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平成17年04月29日(金) 11:48pm (NZ time)

おばんです、みなさん。
今日もオークランドは、曇りを基調とした天気でした。
でもそれ程寒くはありませんでした。
カラッと晴れた日の夜はかなり冷え込みますが、今日も曇っていた為それ程、熱放射が無かったようです。
ニュージーランドドルは、無敵です。
一昨日の悲観的な企業予測に反して今日も円安(ニュージーランドドル高)です。
これからじわじわと変化が起こるのか、或いは、また、予想が外れるか・・・?
一切の保証は、ありません。

Hug(ハグ)と言う言葉をあなたはご存知の事と思います。
Hugと言うのは、抱擁の事です。
簡単に言うと抱きしめる事です。
このHugをあなたは、何と発音しますか?
恐らく「ハグ」と発音すると思います。
しかし、私の知り合いの日本人の英語の達人によりますと、「ハグ」と発音しないらしいです。
それでは、何と発音するかと言うと「ハグ」と発音するらしいです。

私は、この記事を書きながら2種類の「ハグ」を発音していましたが、その違いが分かりましたか?
えっ? 聞こえなかったですか?
はい、すんません。
カタカナでは、違いを表現できないのです。
問題は、「グ」にあります。
英語では、単語の末尾の「g」は、「グ」と発音しないで「グ」と言うらしいです。
どっちも「グ」なら分かんないべ~!
ハイ、失礼しました。

え~とですね、出来るだけあなたの頭にイメージが湧くように工夫して説明するように心がけます。
我々日本人が「グ」と発音するときは、ローマ字で表すと「gu」と発音しています。
「gu」は、つまり母音の「u」が明確に発音されて、はっきりとした「グ」となります。
ところが英語の場合の「ハグ」の「グ」を発音記号で表すと「g」なのです。
つまり「u」無しの「g」です。
「g」と「gu」の違いは、「g」の場合は、「グ」と軽く言ってそのまま音を飲み込む感じです。
「gu」の場合は、「グッ」と言う感じで強く「グ」と言いそのまま音を外に吐き出す感じだと思います。

先にお話した、英語の達人の話によりますと英語では、末尾に来る「g」は、日本語の発音の「gu」と発音する事は無いと言う事です。
そう言われるとそうです。
例えば、「sing」も「スィング」と発音しません。
「sing」の発音記号は、残念ながらパソコンで打てません。
じれったいですが、大文字の「G」の変形のような発音記号です。
但し、「hug」の「g」の部分の発音記号は、「sing」の場合と違い「g」です。
駄目だ!
やはりパソコンの文字で説明するとはとても無理です。

「グ」とは、違いますが、似た感じで日本人でも何となく感覚が掴める例があります。
それは、「ガ」です。
日本語の「ガ」には、2種類あります。
それは、普段、我々は、意識せずに使い分けています。
例えば、「学校」と発音してみてください。
あなたは、今、「ッコウ」と言いました。
次に「私が、英語の勉強中に・・・」と言う文章を読んでください。
はい、そうです。
「ワタシガ、エイゴノベンキョウチュウニ・・・」
あなたは、無意識の内に「ッコウ」の「」と「ワタシ、」の「」を使い分けて発音しました。
「学校」の場合の「」は、「蛾」と同じです。
「私が、」の場合の「」は、「ンガ」に近い感じで音を飲み込む感じです。
「学校」の場合の、「」は、音を強く外へ吐き出す感じです。

2種類の日本語の「ガ」の違いから、2種類の「グ」の違いを類推して下さい。
これで実に明確なイメージが出来て、はっきりと分かったはずです。
えっ・・・?
分からない?
う~ん 一生懸命に分かるように説明したつもりですが、駄目でしたか。
ところで、「hug」ですが、西洋人は、日常生活でとても気軽に家族でも友人でも「hug」します。
あれは、子供の頃からやっています。
我々には、ちょっと馴染みの無い習慣なので、私などは、あんな事は出来ません。
と言うか、あんなのを見ていると恥ずかしくて、気持ち悪い。
人前であんな事をするのは、止めて欲しい(戦前派の主張)。
物理的にあの動作をする事は、勿論 私でも可能ですが、心理的な抵抗が強くて出来ないと言う事です。
それは、我々の生活習慣に「hug」と言うものがないからです。
私が思うに、子供の頃から毎日「hug」を繰り返していると、人と抱き合う事に対する抵抗が薄れると思います。
そうすると男女間のセックスへも余り抵抗を感じずに「hug」の延長で行きやすいと思います。
どんな民族もセックスをして種の保存をします。
しかし、そこへ至るまでには、民族によってその抵抗度に相当な違いがあると思います。
話がかなりそれました。
今宵があなたに取りまして、素敵な金曜の夜になることを願っています。


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平成17年04月28日(木) 11:29pm (NZ time)

おばんです、みなさん。
今日もオークランドは、曇りを基調とした天気でした。
でもそれ程寒くはありませんでした。
カラッと晴れた日の夜はかなり冷え込みますが、今日も曇っていた為それ程、熱放射が無かったようです。
昨日の気まぐれで企業の来年度の悲観的な見通しを書きましたので、今日の為替レートは、どうなるかと思いましたが、意外なことに円安(ニュージーランドドル高)に戻っています。
これからじわじわと変化が起こるのか、或いは、また、予想が外れるか・・・?
一切の保証は、ありません。

今日のNZ Heraldの記事から3つ :
1. Australians anti-Maori culture, says councillor
2. 'Conned' overstayers urged to come forward
3. NZ third worst in world cancer table

1. Australians anti-Maori culture, says councillor
Aussie(豪州人の愛称)は、ロトルアが嫌いらしいです。
それに反して、日本人は、ロトルアが大好きです。
Aussieと日本人は、ニュージーランドの観光客として大のお得意さんです。
Aussieは、マオリ人とその文化、特に「haka」がお嫌いらしいです。
hakaと言うのは、All Blacksが試合の前にやる戦意高揚の踊りです。
ラグビーでいつもニュージーランドに負けてるから悔しいのでうきっと・・・

2. 'Conned' overstayers urged to come forward
Patrick Ottと言う男性がビザ申請代行業務をやって居て、さっぱりビザも取れずそして、パスポートを持ち主に返さないと言う、良くある手口をやり、誰かが正式な苦情を申し立てました。
ビザ申請依頼人の申し立てに寄れば、高い料金をふんだくられて、ビザも取れない、パスポートも無いまま、不法滞在になっているそうです。
不法滞在者は、ニュージーランド移民局か警察に出頭するように促がしているらしいですが、出頭し難いだろうと言う予想です。
出頭した瞬間に罪に問われる可能性が大ですから、それは、当たり前です。

3. NZ third worst in world cancer table
ニュージーランドの癌発生率は世界で第3位と言う事です。
男性と女性の発生率順位は、違うようですが、アメリカ、ハンガリーも世界の上位に居ます。
アフリカ諸国の癌発生率が低いようですが、統計の信憑性が疑われます。
アメリカとかニュージーランドのようにタバコを吸う人間を眼の敵にする国は、癌に掛かり易いのでせうか・・・?

ビザ代行に関する事件は、とても多いです。
今までは、Chinese, Korean, Japaneseの業者がテレビで取り上げられていましたが、今回は、名前から見て、Kiwiの業者のようです。
日本人の業者もテレビで取り上げられていたと言うのがとても残念です。
この件は、数ヶ月前にここでも書きました。
その日にちを明確にしようと思って、古文書館へ探しに行きましたが見つけれませんでした。
一旦、あの書架に入ったら2度と日の目を見ないのかも知れません。
1日当たりの訪問者数も、ほんの数十人程度です。
その業者は、今でもニュージーランドで1~2位を争う程、日本人相手のビザや留学支援関係仕事をしていてとても勢いが良いです。
それって、どこですかって、私に聞かないで下さいね?
自分で調べてくださいね?
色んな掲示板などを良く見ると直ぐ分かりますよ。


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平成17年04月27日(水) 08:36pm (NZ time)

おばんです、みなさん。
今日もオークランドは、曇りを基調とした天気でした。
夕方にパラパラと振りました。
もう直ぐ冬の予感です。

先週クライストチャーチへ行った折、写真を載せると言いましたので、ここに載せます。

これは、Manchestor StreetとAvon Riverが交差している橋から西側を向いた写真です。
クライストチャーチにいらっしゃる方には、お馴染みの場所です。

今日のNZ Heraldにはちょっと怖い記事がありました。
「Clouds gather over economy」と言う題名の記事ですので、原文を参照されたい方は、ご自分でお願いします。
この題名の意味するところは、経済の雲行きが怪しい(直訳すると、経済上に雲が集まっている)。
これは、National Bankが毎月行っている調査の結果です。
それによると、来年度、業績が落ち込むだろうと予測する企業が今月は、48%、先月は19%でした。
これは、あくまでも企業の予想です。
実際の指標ではありません。

しかし、多くの企業が景気の落ち込みと業績の悪化を予想していると言う事は、遂に来るべきときが来たのかも知れないと思います。
原因の特定は、難しいですが、National Bankのチーフエコノミストの Dr John McDermottは、世界的な株式市場の落ち込み、銀行金利の値上げ、賃金の値上がり、ガソリン税の値上がり、NZ$1 > US$0.70で留まっている事(2年くらい前は、NZ$1 = US$0.60くらいだった)、先物予約為替レートが良いレートで確保できないなど、様々な要因が考えられると言う事です。
この調査では、触れていませんが移民の減少もその要因の一つでは無いかと思います。

多くの企業が、物価の値上がりを消費者に転化しています。
つまり、商品価格の値上げで、賃金やその他の経費の値上がりをしのごうとしています。
最悪の場合、高インフレと低成長もありうるようです。
この予想が現実化するとニュージーランドドルは、下落します。
ここ数日、ニュージーランドドルの為替相場に注目しましょう。


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平成17年04月26日(火) 11:24pm (NZ time)

おばんです、みなさん。
今日のオークランドは、曇りを基調とした天気でした。
昼間かなり寒かったですが、夜雨が降り出してから少し気温が上がった気がします。

私は、今、本を読んでいます。
題名は、「神々の流竄(ルザン)」、作者は、梅原猛、出版社は、集英社文庫、1985年12月20日第1刷。
今、約3分の1ほどまで読み進んで来たところです。
本の題名から内容は、察する事が出来ると思いますが、この本は、日本の古代史を解析しています。
古事記と日本書紀、続日本紀(しょくにほんぎ)特に古事記と日本書紀(2つあわせて記紀と呼ばれる)を自然な流れに沿って解釈していきます。
一般的な歴史書に良くあるような、理解できない部分は、この部分の記述は、間違っているとか或いは、自分の理解出来る様に強引に解釈をすると言う事はありません。
あくまでも、無理の無い納得の行く結論を導き出していきます。
彼の推論と仮説は、実に興味深いです。

我々は、戦前、古事記と日本書紀は、100%全て真実として信ずる事を強要されました。
そして、戦後は、100%虚偽として否定されました。
その事に関して、梅原猛は、この本の序文の部分で(同本18項「古代人の心を忘れた古代史」)以下の如く言っています。
やや長いですが、そのまま引用します。

前おきは、そのくらいで十分である。
お前が大いなる真理と称する仮説について語れと人はいう。
私の心も、1刻も早く、仮説を語りたいという焦燥に燃える。
しかし、誤解をさけるために、なお二、三の注意が必要であろう。

古事記、日本書紀について、戦後、日本の歴史学者は、あまりにも不信の眼を投げたのである。
そしてその不信の眼は、同時に、自国に対する不信の眼でもあった。
そしてその不信の眼の原因は、かつて古事記や日本書紀をあまりにも信じるドグマを、彼等が強制されたからであった。

本居宣長(もとおりのりなが 1730~1801)は、日本の古典の研究者として、もっとも偉大な学者であった。
彼によって、日本古典の研究は、はじめて1つの学問にまでなったといってよい。
そして本居宣長は、文献学者にふさわしい解釈の方法をとった。
それは、古事記、日本書紀に書かれていることがらを、そのまま全部事実として受けとる方法である。
こざかしい人間の知恵が、どうして幽遠な神の道を、知ることができようか。
こざかしい人間の知恵で、神のことをあれこれ言挙げすることをやめて、神の言葉をそのまま聞け。
それが、本居宣長の解釈の方法であった。
それはたしかに、すぐれた解釈の方法であった。
深い真理を知るには、己を空しゅう(むなしゅう)しなければならないのは当然である。
しかしこの宣長の解釈の方法が、唯一の解釈の方法として固定されるとき、いちじるしく知性の発展をさまたげる。
宣長の頭の悪いエピゴーネンに指導された戦争中の教育は、古事記、日本書紀の神話をすべてうたがうべからざる歴史的事実として教えていたのである。

このような不合理に、健全な理性が反対するのは当然である。
すでに、津田左右吉(1873~1961)はあの軍国主義の時代において、健全な理性でもって、このような神話について、批判していた。
彼によれば、古事記、日本書紀の神話は、大部分六世紀の大和朝廷の指導者によってつくられた虚偽であった。
津田は、豊富な資料と、巧みに矛盾律をつかう推論によって、古事記、日本書紀の神話の否定者となった。
そして、戦後、長い間の国家主義から自由になった日本の理性は、津田の中に、狂気の時代には珍しい1つのさめた理性を見た。
そしてひとびとは、この津田のさめた理性を尊敬しつつ、古事記、日本書紀にたいして、津田の否定的判断に従ったのである。

そして、このひとびとの古事記、日本書紀にたいする否定の心の中には、自国にたいする憎悪の心がかくされていたかもしれない。
あの戦争のさなかにあって、多くの肉親や友人の死を見、そして自己自身の死すらも覚悟しなければならなかったわれわれが、自国にたいする憎悪をもたないとしたら、かえっておかしいのである。
かくして、津田の記紀にたいする否定的判断は、進歩的歴史学者のもっとも重んずるところとなったのである。
正直な津田は、戦後、自分は前々から天皇制の支持者であったといったが、そういう発言は、進歩的学者にとって、古事記、日本書紀の否定者、津田左右吉というイメージをぶちこわす、迷惑至極な発言でしかなかった。

かくて、わが国最古の歴史書にして神学の書である古事記、日本書紀は、あわれにも、無視と忘却の中におかれていたのである。
その間にも、あるいは坂本太郎氏(「日本古代史の基礎的研究 上・下」)の、あるいは上田正昭氏(「日本古代国家論究」)などの、それぞれ観点のちがう、興味深い研究があるにはあったが、大部分の歴史学者にとっては、上代史を専攻する学者すら、この記紀の問題、特に神代史の問題は、素通りにすべき問題であったのである。

そしてその代わり、歴史学者は、考古学の成果をもって歴史叙述に代えたのである。
かつて神々の坐っていた場所に、壺や剣や玉がぎょうぎょうしげに坐りはじめたのである。
あたかも、そういう壺や剣や玉の研究によって、上代史の歴史の秘密がすべてとかれるかのように。
壺や剣や玉のみによって、上代史を論ずるわけにはゆかない。
何より、われわれはそこに人間を見なければならぬ。
しかも、神々を厚く信じた人間を、そこに見なければならないのである。
壺や剣や玉はもともと人間がつくったものである。
しかも、人間は上代にさかのぼればさかのぼるほど、神々を信じていたのである。
壺や、剣や、玉の中に、上代人の生活を見た考古学者は、それによって、かえって、上代において比べるもののない大きい意味をもった、見えないものの力を感じざるをえなかったのである。
とすると、その人間を研究するには、神々の研究が必要である。
神々の研究をするためには、神社を研究すると同時に、古事記、日本書紀を研究しなければならぬ。

こうして再び、われわれは記紀の研究に投げ帰されるのである。
われわれは、戦後余りに、記紀にたいする否定の執にとらわれていたのである。
戦前のわれわれが記紀にたいする肯定の執によって、真実を正しく見る眼を失っていたとすれば、戦後のわれわれは記紀にたいする否定の執によって、真実を正しく見る眼を失っていたのである。
竜樹(りゅうじゅ 二~三世紀)は、真理を知るためには、有無の執、肯定、否定の執を破らねばならぬと考えた。
ここでもわれわれは、有無の執、肯定、否定の執を破らねばならない。
かつてわれわれは津田によって肯定の執から解放されたように、今われわれは否定の執から解放されねばならないのだ。
真理は、肯定否定の二つの執から解放された中間にあるという竜樹の言葉は、ここでもまた真実なのである。

戦後二十五年間、われわれは、自国にたいする否定の執に、あまりにもとらわれすぎたと私はいったが、同時にわれわれは精神にたいする否定の執にとらわれすぎたのである。
歴史家のほとんどすべては、唯物論者になった。
経済史学にあらざれば、もはや、歴史学にあらざる風潮が日本史学界の主潮であった。
そして、古代史研究において、日本古代社会における無階級社会の存在が、ごく大まじめに議論されたのである。
私はここで、改めてマルクス(1818~1883)の幻想について語ろうとは思わない。
マルクスの幻想は余りに深いので、この幻想について、私は哲学者として、別な場所で、必死の戦いをいどまねばならぬ。
このような仕事については、別の機会をまたねばならぬ。

ただ、ここで私がいいたいのは、戦後日本の歴史学者のとった物質万能の考え方では、とうてい、歴史の真実は見えがたいということである。
なぜなら、人間は、卑俗な唯物論者が信じるよりはるかに精神的存在であるからである。
物質的存在であると共に精神的存在である人間を研究するのに、精神の研究を度外視して、到底、真実の解明は不可能なのである。
上古において、精神の歴史の痕跡は、宗教において示される。
そして日本の上古において宗教は神の崇拝の名でよばれた。
それゆえ神の研究なくして、上古の日本人の精神の研究は不可能であり、従って、上古の日本人の歴史の研究も不可能なのである。
戦後の唯物論の歴史家は、あたかも、人間が胃袋と生殖器だけで出来ていて、それさえ満足させれば、人間は十分なのだという仮説にもとづいて、研究をはじめたかのようである。
おそらくそのような卑俗な人間観は、彼の精神にたいする絶望の産物でなかったら、自己の卑しさの反映であったであろう。

戦後の日本古代史学の論争として、騎馬民族論争とか、ヤマタイ国論争があった。 それらの論争についても、いずれ私は論じたいが、いずれも記紀についての研究なくして上代史の研究をしようとした点において、戦後の自国に対する絶望の時代における歴史研究にふさわしい研究であったといわねばならぬ。
自国の歴史文献を全く信ぜず、外国の文献によってのみ自国の歴史を考える。
それは外国軍隊の占領下にある日本の歴史学者に、十二分な自虐的な快感を与えてくれる学問的態度であったかもしれない。

真理は、有と無の中間に、肯定と否定の中間にあると私はいった。
しかし、この言葉は、更に明確にされねばならない。
古事記、日本書紀神話において、どこに真理がありどこに誤謬(ごびゅう)があるというのか。
本居宣長のように、すべてを真理とするのも、戦後の歴史家のように、すべてを誤謬とするのも、どちらも正しい真理探究の道ではないとしたら、われわれはどうしたらよいか。
われわれは、記紀における真理と誤謬とをどのようにして見分けたらよいか。

こういう問いと共に、われわれは、一つの一般的な問いに投げかえされる。
いったい、一つの書物における真理とは何であり、虚偽とは何であるかという問いである。
そのような問いを問うには、いったい一人の人間における真理とは何であり、虚偽とは何であるかと言う問いを問うことを必要とする。
一人の人間は、いったいどのような場合に真理を語り、どのような場合に虚偽を語るのか。

人間は、いつも真理と虚偽の中間に住んでいる。
いつも虚偽ばかりを語る人間も存在しないと共に、いつも真実ばかりを語る人間も存在することが出来ない。
人間は自己の利害のかかっていることには、虚偽をかたりやすいものであるが、自己の利害のかかっていないことには、真実を語ることを好むものである。
このような立場から、アリストテレスは、自己を真理の人とせしめるために、徹底的に第三者、つまり純粋客観の人とならしめようとしたが、このように徹底的な第三者となることは、学者としては可能であったとしても、実際人、つまり政治家や商人にとっては、不可能であろう。
なぜなら、支配への意志のあるところ、そこには一つの観念操作が必要であり、観念操作には、多分の作為と同時に虚偽が必要であるからである。

人間というものは、生きるために虚偽を必要とするというのは、ニーチェの言葉であるが、私はやはり、政治というものは絶えず大きな虚偽を伴っていると思う。
それは皇帝政治だろうが人民の政治だろうが同じことである。
かつて日本の多くの歴史家は、天皇は絶対に嘘をつかぬと信じ、またひとびとにそれを信じさせてきた。
そしてそのような神話がうちやぶられたとき、また歴史家たちは人民は絶対に嘘をつかぬと信じ、あるいはそれをひとびとに信じさせようとした。
しかし、おそらく戦前の歴史家も、戦後の歴史家も、あまりに素朴に天皇や人民を信じすぎた。
事実は政治のあるところ、そこにはやはり虚偽があるのである。
天皇と同時に人民もまた、嘘をつきうるものなのである。

そしてその虚偽の中に、新しい歴史をつくろうとする支配者たちの必死の意志がかくれているのである。
そして、その必死の意志による歴史の偽造をのぞいて、その他のことは、比較的客観的に語られるのである。
巧妙な嘘つきはいつも嘘をつきはしない。
99パーセントは真実のことを語り、1パーセントだけ嘘をつく。
しかもその1パーセントが一ばん肝要なことである。
そういう嘘つきがたくみな嘘つきである。
このように考えると、われわれは、古事記、日本書紀制作者たちの、作為的意志がどこにあるかを明らかにすることにより、記紀における真実なるものと虚偽なるものを、区別することが出来る。

とすれば、記紀の作為的意志は、どこに働いているのか。
こういう問いは、記紀の成立根拠にかんする本質的な問いである。
こういう問いに答えるためにも、われわれは記紀を熟読すると共に、記紀の書かれた時代の歴史書である「続日本紀」を注意深く読まなければならぬ。

ふぅ~ (・_・)

自分自身の言葉で書くのは楽ですが、既にある文章を転記するというのは、実に大変な作業です。
かなり疲れました。
なんでこんな大変な作業をしたかと言うと、我々が戦後受けた歴史教育について説明する為です。
昨日言ったことと同じ事の繰り返しですが、趣向を代えて見ました。
また、梅原猛と言う哲学者の書いた歴史書は、大変興味深いと言う紹介も兼ねています。

私の好きな随筆家に山本夏彦と言う人が居ます。
彼が言うには、人は、その人独自の考えを持つ事は非常に難しいと言っています。
何故かと言うと、我々は、生まれて家庭で親兄弟と過ごし、小学校へ行き教育を受けその過程で何らかの色に染まっているからです。
我々が日本の歴史を考える時、既に我々はある程度、洗脳されています。
何故なら、我々の学校で使われている歴史教科書も何らかの色に染まった歴史学者達によって書かれているからです。
梅原猛は、戦後の歴史学者は、殆ど唯物論者だと言っています。
つまり、マルクス、エンゲルス、レーニン、毛沢東などの思想に偏った人達が書いた歴史を我々は習ってきました。
教科書裁判で長年争った家永三郎さんなどはその典型的な例でしょう。
また、我々の学校には、唯物論を信奉している教師達が沢山居ました。
そして、我々は、日本人は極悪非道な人でなしであると言う考えを植え付けられてきました。

そう言う教育を受けた人間は、戦争中、日本人は悪い事ばかりしてきた国民だと思う事でしょう。
愛国心は、微塵も育まれないどころか、全く逆に、祖国を恨むようになります。
私は、大学へ行く頃まで、実際そのような考えを持っていました。
そして、日本人である事が恥ずかしいと思っていました。
彼らの目論見は、北海道の片田舎の純粋な少年を見事に洗脳するのに成功しました。
しかし、私は、学生の頃、渡辺昇一の本を読んでから日本人としての誇りを持つようになりました。

自分の祖国に誇りが持てないと人は、自分自身にも自信を持てませんし、海外の人と話しても臆してしまいます。
他国から何か文句を言われるとあたふたと慌てふためき、ご機嫌をとろうとします。
そう言う外交がずっと続いてきました。
そこに付け込むのが中国です。
日本人の人の良さを彼らは良く知っていてそこを突付くのです。
中国が望む事は、謝罪や誠意という無形のものでは無いと思います。
彼らが欲しいものは、金と面子(アジアで唯一の国連常任理事国としての覇権)だと思います。
中国人はとても合理的に物事を考えます。
実質的に役立つものを求めます。
若し、日本政府がいきなり、中国政府への経済援助を打ち切ると発表したなら、中国は、ガラッと態度を変えると思います。
韓国人は、違うと思います。
韓国は、本当に日本と友達になりたいと思っていると思います。
彼らは、経済的に既に自立していますから、お金ではなく、日本の誠意を求めていると思います。

今回の日本の歴史教科書と国連常任理事国入り問題が絡まった騒動のその現物を私は見たいです。
つまり、問題となっている歴史教科書そのものを読んでみたい。
それを見れないのが残念です。

この騒動を海外の報道機関は、どのように見ているか、ちょっと調べてみましたが、アメリカのNew York Timesの記事を参照している日本語の朝鮮日報を見つけ(【NYT紙「日本の教科書、韓中よりバランスが取れている」】、New York Timesの原文を参照しようとしたら、日系人記者が書いている記事で、過去の記事は、何と有料なので諦めました。
英国のBBCの記事も見ましたし、NZ Heraldの記事もざっと探しましたが、どこも客観的な状況を報道しているだけで、自分の考えを主張していませんでした。
他も眺めましたが、こんな記事がありました。
「China and Japan: a textbook argument」 このサイトは、聞いた事の無いサイトなので世間の評価は、如何ほどか分かりかねますが公平で客観的な意見を言っているようです。 が、なにぶん長文の英語なので訳したら、梅原猛の上記の文章の転記よりも更に大変な作業になります。
ウェブサイトの翻訳機に掛けるとわや目茶苦茶な邦訳が出来上がりますので、頂けません。
誰か邦訳お願いできませんかぁ~?

日本の歴史と歴史教育と最近の騒動がどうも気になって仕方なかった為、今日の気まぐれには、ちょっと時間を掛けました。
4月25日の私の記事をTrack Backしてくれた tabitoさん、ありがとう御座いました。
あなたのSentimentは、私とほぼ同じです。 → 「シドニーで国際人になろう!」
今夜は、これにて御免。


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平成17年04月25日(月) 09:15pm (NZ time)

おばんです、みなさん。
最近は、かなり寒くなってきました。
ハミルトンの今日の最低気温などは、氷点下1度です。
ハミルトンは、内陸にありますので夜は、冷えます。
オークランドは、両側をがっしりと海に囲まれているので温暖な気候です。
今日は、ANZAC dayで国民の休日でした。
ANZAC dayの意味するところは、「日々平安」の「ニュージーランドの休日」のページを参照願います。
私は、今朝所要があり、Cityさ行きました。
そして、何を思ったか土曜日と思っていました。
そして、何と~!!
$3払って、Parking ticketを買ってしまった・・・
今日の路上駐車は、言うまでも無く無料です。
あぁ~ それなのに、それなのに$3払ってしまったのです!!

さて、中国の反日デモ騒動は、未だ続いているのでしょうか?
あれは、まず間違いなく中国政府が裏で操作して国民を焚き付けていると思います。
あなたは、昭和56~58年頃に起こった教科書問題をご存知ですか?
正確な年は、憶えていません。
当時、教科書の記述の中で、日本のアジア「侵略」を「進行」に変えたと日本の出版社が大騒ぎしました。
この件についてはご記憶の方も多い事かと思います。
しかし、この騒ぎの顛末をご存知の方は、余りいないのでは無いかと推測します。

結論、日本の出版社の思い込みによる誤報でした。
どういう事かと言うと、日本の日本を恨み日本を落としいれようとする先進的報道機関が日本のあら捜しをした結果でした。
つまり、日本政府を攻撃し、日本を他国へ売り渡そうとする報道機関が沢山ありました。
彼らは、今は斜陽となっている左翼系分子でした。
つまり、マルクス・レーニンに魂を売り渡した売国奴達でした。
それは、どういう事かと言うと、日本を共産主義の国にしたい一心で生きている人達が日本に不利になる情報をソ連、中国、北朝鮮に売り渡していました。
残念な事に彼らは知識層に多く巣窟していました。
そして、日本のあら捜しをして、そしてそれを他国へ報告していたと言う事です。

今回の教科書騒動や、中国、韓国の反日運動もかれらの巻き返しに思えます。
兎に角、彼らは日本が憎いのです。
彼らは、日本人です。
特に60代~70代の辛酸を舐めてきた世代が特にそうです。
不合理で不条理な時代に生きてきた彼らは、辛い思いをしてきました。
戦前、戦中の日本は、暗黒時代でした。
理屈もへったくれも無い時代でした。
それにより言いようの無い辛い思いをして、日本を恨み、日本を転覆させようと思った。
それは、心情的に理解出来ます。
しかし、日本人であるなら、日本を陥れようとしてはいけない。

日本の報道機関が騒ぎそれに乗じて中国や韓国が動くと言う構図が完全に定着しています。
先の昭和50年代の教科書問題では、「侵略」と言う言葉を「進行」 「進攻」と書き換えたと日本の報道機関が騒ぎ、それをアジアの近隣諸国はつつきました。
しかし、それが単なるボケの思い込みであると分かりました。
何故分かったかと言うと渡辺昇一と言う上智大学の愛国者の教授が指摘したからです。
それを読み産経新聞が間違いだったと訂正記事を掲載したら、中国や韓国その他のアジア諸国は、静まりました。

2005年4月26日追記 :
説明不足でした。 日本の教科書には、「侵略」や「進攻」と言う言葉が両方使われていました。 昭和50年代の教科書騒動の時は、その事実を確認しないで、報道機関のある記者が「進攻」と言う言葉を見つけて、「侵略」を「進攻」に書き換えたと思い込み、騒ぎ出しただけでした。  周りの記者連中もその声だけで、一緒に騒ぎ出して、国家問題に迄発展しました。 しかし、それは、単なる思い込みで予断以外の何物でもありませんでした。 「進攻」と言う言葉は、それ以前の教科書でも使われていました。 その事実を発見しどこかのマスコミで指摘したのが、渡辺昇一です。 誤報を犯した張本人の記者の名前や報道機関の名前は、知りません。


日本を他国へ売り渡す売国奴が日本国内に居ると言う事は、実に哀しい事実です。
ソ連が壊滅し、東欧が崩壊した今、風前の灯の共産主義陣営ですが未だに巻き返しを狙っている輩が日本に居るのでは無いでしょうか?
日本の国内問題を他国へ報告して褒めてもらっている連中が居るようです。
そう言う連中は、中国や北朝鮮へ移住すべきです。
相手が歓迎するかどうかは別問題ですが。

第2時世界戦争が終わった後、世界は、資本主義と共産主義(社会主義)の冷戦時代に突入しました。
ドイツ、朝鮮、ベトナムは、2国に裂き避けられました。
しかし、日本は、そうなりませんでした。
それは、我々にとっては、最大の幸運でした。
マッカーサーの意思が濃厚に反映されていると思いますが、幸いな事に北海道は、ソ連になりませんでした。
しかし、日本国内に共産主義陣営の分子が生まれました。
彼らが今でも日本を陥れようと誠心誠意努力しています。
そんな連中は、日本には要らない。
早く、中国や北朝鮮へ行けばいい。
しかし、彼らは日本の豊かさの中に居てそれを享受しながら裏切り行為をしたいらしい。

批判的精神を持っている国は、健全な精神を有する国です。
日本は、そういう点では、健全な国です。
しかし、それが度を越して、他国へ祖国を売ろうとするまでに成ると、看過できない。
あなたは、中国が自己批判をしたのを聞いた事がありますか?
中国が過去4千年の歴史の中で如何に多くの近隣諸国を侵略し、略奪し、殺戮してきたか、それを彼らは一度でも反省し自己批判した事があるでしょうか?
中国は、常に侵略者でした。
今でもチベットを奪い取った侵略者と言う事実があります。
1950年にソ連、中国、連合軍が朝鮮半島に侵入した事をあなたはご存知ですか?
それが今の北朝鮮です。

しかし、19世紀になるとそれが、逆転しました。
西欧の近代文明国家が出現したからです。
侵略者が非侵略者になりました。
彼らは、常に他国を批判し、自国を褒め称えます。
日本は、とても変わった国で常に自己批判し、自虐的です。
自己批判は、ある程度、あるべきですが度を越してはいけない。
度を越して他国へ自国を売り渡すようになったらおしまいです。

日本と言うのは、実に不思議な国です。
何か大きな国家的な事件が起こると、一気に針が動きます。
どこか両極端な方向へ針が触れます。
戦前の日本を思い出してください。
神話からの日本を全て真実として見なし、天皇を利用しました。
当時の昭和天皇は、利用されただけです。
当時の陸軍大学や海軍大学を出たエリート達は、東大以上のエリート達でしたが、あれ程、馬鹿な連中はいません。

そして、戦争が終わるとどうなったか・・・?
昭和20年8月15日を境にして、鬼畜米英がアメリカ万歳に変わりました。
国民も不思議な事に政府の言うとおりに良い子で、言う事を聞きます。
あれ程の変わり身の早さは、他の国ではあり得ません。
戦前の新聞は、朝日を筆頭にして、聖戦を強調していました。
それが敗戦後、ソ連、中国べったりに早代わりです。
まぁ、節操が無いというのか、何と言うか、良く分かりませんが、彼らは、又いつころっと変わるか分かりませんので、信じられません。
国民は、それにただただ従順でいるだけです。
今は、未だ平和が保たれているので日本は、救われています。
これが、いざ戦争になったらどうなるかと思うととても恐ろしいです。
健全な均衡を持つ精神の国民になって欲しいです。


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平成17年04月24日(日) 11:59pm (NZ time)

おばんです、みなさん。
オークランドも寒くなってきました。
今日は、夜に月がはっきり見え、地上の空気が大気圏上に放出されていると言う様子が露骨に伺えました。
夜は、かなり冷えてきました。
クライストチャーチは、もっと寒いことでしょう。

明日、4月25日は、ANZAC dayで祝日です。
アンザックデイと言います。
第一次世界大戦の時にニュージーランド、豪州の連合兵士団が欧州でかなり苦しい戦いを強いられ、戦死者を多数出した記念の日です。
記念と言うのは、良い日だけではありません。
辛く哀しい日も覚えて置くと言う意味で記念します。
ニュージーランドや豪州は、当時母国(Mother Country)として英国を見ていました。
今でも多少その傾向は残っていますが、現在のKiwiやAussieは、英国と直接的な結びつきが薄くなってきていますので、英国を母国と考える人は、余り居ないと思います。

19世紀や20世紀初頭において英国から移住してきたばかりの1世達は、英国は、とても身近な祖国だったと思います。
親戚や友人やひょっとしたら親兄弟も英国に居たかも知れません。
そういう人達ばかりだとしたならば、英国が参戦したならそれに同調するのが自然なる感情の発露だった事でしょう。
戦争は、いやですね。
戦争を追い求めるほんの一部の人もこの地球上には存在します。
それは、極めて特殊な利害を持っている人達です。
普通の人間は、戦争を嫌い、避けようとします。
人殺しを望む人間は、異常です。
その異常な人間は、間違いなく存在しますが、それに抗するのが普通の人間です。

日本は、幕末の嘉永六年(1853年)まで平和でした。
それ以後の日本は、集団ヒステリーと化しました。
植民地にされる恐怖に襲われ、自主独立の為に狂騒しました。
その後は、あの忌まわしい戦争に突入しました。
その辺の事情は、「日々不安」の「アメリカよ!あめりかよ!」に書きましたので、若し興味があればご覧下さい。

日本は、様々な過ちを犯しそして近隣諸国を蹂躙した過去があります。
それは、いけないことでした。
但し、それだけではありません。
若し、この地球上に日本と言う国が無かったらどうなっていた事でしょう・・・?
あなたは、どう思いますか?
日本が存在しなかったなら、現在の世界は、どのようになっていたと思いますか?


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平成17年04月23日(土) 11:59pm (NZ time)

おばんです、みなさん。
ただいま。
今日の2時頃、故郷のオークランドに帰ってきました
オークランドは、涙で私を迎えてくれました。
今夜も更新が遅れました。
実は、帰って来て直ぐ寝てしまいました。
疲れは、全く感じなかったのですが、かなり熟睡しました。
クライストチャーチも良い街ですね。
オークランドに比べるとかなり寒かったですが、とても雰囲気の良い街です。
オークランドの不動産は、相場が不相応に上がりすぎたので、私もクライストチャーチに引っ越して、超豪華邸宅を買おうかと考えています。
寄付金を受け付けますので、希望者は、なんら遠慮は要りませんのでバンバン寄付してください。
一口1億から受け付けます。

昨日、私はがっかり来ました。
1月2日以来3ヵ月半ぶりにGoogleのページランクの更新がありました。
このHPのトップページは、一昨日までページランク5でしたが、昨日から4に転落です。
あぁ~あ ちょっと気を抜くと直ぐ、転落への道が待っています。
一体いつまでページランク4と5の往復を繰り返しているのでせう・・・?
今年に入ってから、ページランクの高いHPとの相互リンクをする作業をずっとサボっていたので、そんな気がしていましたが、残念な事に現実になってしまいました。
相互リンク依頼が来るのは、ページランクの低いサイトからばかり。
こちらからの持ち出しばかりです。
でも、今日は、とても珍しい事ですが、ページランク5のサイトから相互リンクのお申し込みがありました。
勿論、受けました。
それは、「PageRank4以上の相互リンク集」に本日既にリンク設定完了しています。
こんな話、興味無いですね?
はい、分かってます。
すんまそん、<(_ _)>
今宵があなたに取りまして、素敵な土曜の夜になりますことを願っています。
今夜は、これにて御免。


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平成17年04月22日(金) 10:40pm (NZ time)

おばんです、みなさん。
今日もクライストチャーチは、良く晴れていました。
でも朝晩は、とても寒いです。
オークランドに比べるとかんり寒いです。
でも、クライストチャーチは、良い街です。
私は、好きです。
オークランドは、とても坂の多い街ですが、クライストチャーチは、平らな街です。
自転車操業の方、いやもとい、自転車に乗る方は、上り坂が無いのでクライストチャーチは、楽だと思います。
残念ながらAvon Riverの1mくらいあるうなぎは、今回見れませんでした。
私は、クライストチャーチに来る度にAvon Riverをじっと眺め、体長1mほどもあるうなぎを見つけて喜んでいました。
クライストチャーチの街の写真を、数枚撮りましたが、後日載せます。
今宵があなたに取りまして、素敵な金曜の夜になる事を願っています。
今夜は、これにて御免。


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平成17年04月21日(木) 10:40pm (NZ time)

おばんです、みなさん。
私は、3年ぶりにクライストチャーチへ来ました。
今朝オークランド空港を経ちクライストチャーチに来ました。
オークランドに比べかなり寒いです。
でも天気は良く、爽やかです。

インターネット接続が充分につなげれる状態でありません。
それ故に、充分に操作も出来ません。
写真は、未だ1枚も撮っていません。
今日は、朝早くから夜までずっと動いていて余裕がありませんでした。
出来れば明日、Avon Riverのうなぎの写真を撮れれば幸運と思います。
今宵があなたに取りまして、素敵な木曜の夜になる事を願っています。
今夜はこれにて御免。


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平成17年04月20日(水) 11:59pm (NZ time)

おばんです、みなさん。
今日も比較的良い天気でした。
最近は、朝晩の冷え込みが結構厳しくなってきました。
着実に秋はやってきています。
もとい。
今は、秋です。
秋は、深まりそして冬に向かっています。
と言うべきでした。

今日のNZ Heraldに「Surprise as house prices hit record」と言う記事がありました。
それによると2005年3月度のニュージーランド全国住宅販売平均価格は、$280,000で過去最高を記録したと言う事です。
一体これはどういう事でしょう?!
ここ数ヶ月の間、一進一退を繰り返しています。
もう不動産相場は、高値安定期に入って、場所によっては相場は、下がると言われていましたし、住宅を売りに出してから売れるまでに掛かる日数も長くなってきていると言われていました。
そうするともう販売価格は、上がらないだろうと思われたのが又、上がったのです。

4月28日にニュージーランド準備銀行(Reserve Bank of New Zealand = NZの中央銀行)は、金利の見直しをします。
エコノミストは、金利は据え置かれるはずだと予想していますが、ひょっとしたら又、上がる・・・?
為替相場市場でもニュージーランドドルは、高値で推移しています。
この状態が続くはずが無いと誰もが思いそれで居て何となく続いている、不気味な雰囲気です。
今夜は、これにて御免。


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